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2014'09.21 (Sun)

池上彰の経済教室・12

池上彰の経済教室 12  
【バブルが生まれ はじけた その2】

●株の値段が上がる

1987年、NTTの株が売り出される
1株119万円で売り出され、抽選で当たった人の手に渡ったが、
120万円で取引が開始された後、1か月たたないうちに1株300万円になった!
            ↓
       株って儲かる!!!

株に手を出す人が急激に増える!

1989年12月29日 
日経平均3万8915円87銭(史上最高値)

また、企業では、もともと保有していた株が値上がりするので、
株を担保にお金を借りられるようになる
            ↓
土地の値段と株の値段が、どんどん上昇する

日本人は、空前の好景気と大喜び!!!

しかし、土地の値段の上昇は、庶民のマイホームが遠ざかることになる


●バブルがはじける

サラリーマンが真面目に働いても家が持てないのは、異常ではないか?!
            ↓
★ 地価税(1991年~1998年)
土地などを対象に、毎年化される国税で、
過剰な土地投機取引による異常な地価高騰を抑制する目的で導入

★ 総量規制(1990年3月~1991年12月)
大蔵省が銀行に対し、不動産関連への融資を抑えるよう通達
すなわち、「不動産にお金を貸すな!」ということで、
銀行が土地を買いたい人にお金を貸してはダメということになる

総量規制によって、
土地を買う人がいなくなり、土地への需要も無くなったため、
土地の値段の暴落が始まる!

            ↓

土地の値段が下がると、株の値段も下がり始める

総量規制が、バブルがはじけるきっかけになったと言われ、
その後の「失われた20年」を日本に招来する要因の一つとなった



●不良債権問題

急激に株価と土地の価格が下落した結果、
不良債権(金融機関が企業の経営悪化から、回収困難になったお金)が増加するが、
土地神話(土地の値段は絶対に上がるため、土地を手放してはならない)に邪魔され、
不良債権の額が、どんどん増え続けた!!!

さらに銀行内部の先送り体質が、不良債権問題を大きくする

① 自分の成績を下げたくなため、
  不良債権を放置したまま転勤し、責任を後任に押し付ける

② 後任者が不良債権に気づいても、
  先任者(特に出世した人)の顔をつぶしたくないので、見て見ぬふりをする

③ 問題の本質を見抜き、不良債権処理を提言した人は左遷させられた

              ↓
銀行の不良債権処理の遅れが、優良企業にお金を貸すことすら出来なくさせた

よって、景気の悪化に歯止めがかからず、ついにバブルは、はじけたのだった。

以上



☆☆☆ 今回のちよこの番組感想 ☆☆☆

私はバブルの恩恵を受けることができましたが、
当時の就活は、バラ色を通り越して虹色でした!!!

企業の採用人数も多いですし、超売り手市場なので、
例え働く気が無くても、説明会に行くだけで、何かしら特典がありました。

私の友人は三流大学にもかかわらず、本命の外資系に、さっさと決まり、
さらに、お遊びで、いろんな企業の説明会に顔を出しては、

「ビンゴ大会で、会社が保有するペンションの宿泊券が当たった!」

「話しを聞いただけなのに、有名レストランの食事券をくれた」

とか、よく自慢話しを聞かされましたよ。

これが数年後だったら、絶対に、ありえないですよね……。

ただ、苦労して就職してないためか、3年以内の離職率が高く、
私の友人の多くは転職していました。

っていうか、私も当時、転職を繰り返していたので、何も言えましぇん……。

追伸!!!

そうそう、我が家もNTTの株の購入狂想曲に参加し、
確か、家族全員の名前で応募したんです。

そして、私の名前で当選し(未成年でもO.K.なんすかね?!)、
うちは、119万円で買って250万ぐらいのときに売ったはず!
倍になればいいやって考え方だったかと……。

けど、パートナーの家でもパートナーの名前のが当選し、
同じく200万円ほどで売ったそうですわ。

こんな人が、その辺にゴロゴロいたら、
そりゃ株は儲かるって勘違いしますよね。

あぁ、なんて罪作りなNTT株……。
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11:33  |  経済教室  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2014'09.20 (Sat)

池上彰の経済教室・11

池上彰の経済教室 11  
【バブルが生まれ はじけた その1】

●いったい、バブルとは何だったのか?

『バブルのイメージ』
 タクシーを1万円札を振って停めたり、タクシーチケットで乗り放題
 ジュリアナ東京のお立ち台で、センスを振って踊る女性

★バブルとは

実態価格を超えた資産価値の上昇に伴う過熱景気
ex)土地、株、ゴルフ会員権など

バブルの渦中にいる時は、誰もバブルだと気が付かず、
空前の好景気、永遠に続くと、皆で勘違いをしていた……

●バブルは、なぜ始まったか

きっかけは、プラザ合意
1985年9月に、G5(アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本)の蔵相が集まり、
為替レートの安定化で合意する
             ↓
アメリカの経済が 輸入>輸出 で、不景気になり、
輸出を促進させたいアメリカは、ドル安で経済を立て直そうとし、
協力するよう、他の4か国に要請

これを受諾した日本は、
日本銀行を通じ、政府がドルを売って円を買った

そのため、1985年当時1ドル250円だったのに、
プラザ合意後、1年で160円まで円高になる

しかし、円高になったことで、日本の輸出産業が打撃を受け、
アメリカの景気を助けたがために、円高不況となる

不況時に出来ることは2つしかない

① 財政出動 : 公共事業をどんどん行う
② 金融政策 : 中央銀行が金利を下げる


そこで、政府は金融緩和に踏み切り、日銀が公定歩合を下げた

注) 公定歩合とは、金融機関が日銀からお金を借りる時の金利だが、
   現在、この方法は使われていない

そして、日銀が公定歩合を引き下げたため、
世の中にお金がたくさん出回るようになった = 金融緩和

本来は、金利が下がりお金が借りやすくなったことから、
企業が設備投資を行い、労働者を雇ったり、資材を購入するはずだったのに、
工場用地を買う企業が続出し、土地の値段が上がっていく
         ↓
工場を作るよりも、土地を転売したほうが儲かる!!!

多くの企業が土地を買いあさり、不動産投資=財テク に励む

【国土庁オフィス需要予測 (1985年)】
2000年までに、東京で高層ビルが250棟必要になる!

国土庁の予測が、不動産投資に、さらに拍車をかける

以上



☆☆☆ 今回のちよこの番組感想 ☆☆☆

はい、私はバブルの時代が青春だったので、
こんなに楽しく明るい青春を謳歌させていただき、
今となっては、上の世代と下の世代に、申し訳なく思ってしまいます。

机上の学問は出来たとしても、世間の常識を知らない十代では、
空前の好景気は永遠に続くものだと信じていましたし、

世の中は楽しく、面白いし、毎日がお祭りだ!!!

と、大阪で独り暮らしをしながら、学生生活を送っていた私は、
学校が終わると、すぐに梅田や難波に駆けつけ、
毎晩、毎晩、何かあるんじゃないかと、ウロウロしていました。

ジュリアナはなかったですけど、
マハラジャに通い、お立ち台に乗って踊ってましたしね。

でも、なんで、こんな大いなる勘違いをしたのか?
その点は、ぜんぜん理解していなかったんです。

今回、あれから25年ほどたち、やっと理解しましたわ。

きっかけは、アメリカの景気対策の片棒を日本も担がされたことですが、
でも、本質的には人間の欲望そのものだったのでしょう。

土地にしても、株にしても、ゴルフ会員権にしても、
本来の価値は、そこまでなかったのに、
どこまでも上がっていくものだと信じて疑わなかった……

今でも思い出します。

専門学校に通っていた時、講師の先生が言ってたんですよ。

「うちの大阪市内にある先祖代々受け継がれてきた土地を、
 今、売ったら、2億円になるんやって!
 2億円が手に入ったら、こんな細々と働いたりできんがな!」


まぁ、結局、先生は土地を手離さず、定年退職されましたが、
それが、正解だったのでしょう。

しょせん素人ですから、
バブルに踊らされず、コツコツ日々を重ねた者が生き残りますよね!

でも、いい時代に青春を過ごせたことは、ラッキーでした。

戦争に巻き込まれることもなく、就職氷河期に打ちのめされることもなく、
人生の一番輝いている時間を、遊び呆けることができたんですから。

まぁ、私の運は、そこで遊んで使い果たしちゃったんでしょう!!!
19:20  |  経済教室  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2014'08.23 (Sat)

池上彰の経済教室 10

池上彰の経済教室 10  
【公害問題を乗り越えれば・・・】

●公害問題は、これからの現実

「あなたが就職した会社が、有害物質を流していたと気付いたら、
  あなたは、どうしますか?!」
                 ↓
     公害問題は日本では過去の出来事のように思われているが、
     中国・南米では、現在進行形で起きている

★公害病

昭和40年代以降、排水(工場・家庭)や、大気汚染(工場・自動車)など、
『特定の犯人を断定できないが、多くの人に害をもたらす』ものを公害と呼ぶ

高度成長期は、公害が全国で発生していた

【公害病】

水俣病を例とすると、
企業は、工場排水は海で薄まるからいいと思って垂れ流していたが、
海に拡散した有機水銀をプランクトンが食べ、
プランクトン → 小さい魚 → 大きな魚 → 人間
と、有機水銀は濃縮され、食物連鎖の頂点に立つ人間の体内に取り込まれた

しかし、当時は、

コンビナートの煙 = 日本が経済が豊かになる証

として、大気汚染であっても、プラスと受け止められていた


★公害の原点 【水俣病】

1956年、チッソ(旧新日本窒素肥料)は、
プラスチックの加工に欠かせない「オクタノール」を製造

その頃から、水俣湾周辺で、手足がしびれ意識が朦朧とする症状が多発

熊本大学の調査により、原因物質が判明し、
チッソの工場排水から有機水銀を検出する

しかし、水俣市の世帯の半分はチッソの工場と関係のある仕事をする、
いわゆる『企業城下町』であったため、
市民も自治体もチッソからの恩恵が多大であり、
病気の原因究明に、非協力的な状況が続いていた

そんな中、チッソは狭い水俣湾ではなく、八代海へと、
密かに工場の排水路を変更したため、さらに被害が拡大した

結局、問題視されてから、20年後に起訴され有罪になる

潜在的な水俣病患者は20万人ともいわれ、今も水俣病は終わってはいない

現在、水俣市は街をあげて、環境問題へ積極的に取り組んでいる


★公害対策がビジネスに

公害が発生していた当時の日本人は、経済優先思想であったため、
環境へ配慮すると、経済発展に悪影響だと思っていた
                ↓
    環境問題に取り組むと、経済にプラスになる!

例) マスキー法
アメリカで1970年に成立した法で、
自動車の排気ガスの有害物質を現行の10分の1以下にするよう求める

しかし、アメリカの自動車会社は排ガス対策をとらず、
政府に働きかけ、法の施行を遅らせた

その頃、日本企業は排ガス規制に合致するエンジンを次々と開発、
ホンダの『CVCCエンジン』のように、
ガソリンの燃焼効率を上げ、有害物質の排出を減らした結果、
車の燃費そのものが良くなり、1973年のオイルショック以降、
日本車がアメリカで、どんどん売れるようになる!

世の中のためになり、会社も儲かる
        ↓
     社会のあるべき姿

以上



☆☆☆ 今回のちよこの番組感想 ☆☆☆

これは大学での講義なので、公害問題と聞いても、
今の若い学生さんにとっては、
日本にも自分にも無関係だと思いがちですよね。

でも、水俣病は胎児性水俣病もあり、今も苦しんでいる方が存在しますし、
グローバル社会ですから、日本を飛び出て海外で働いていると、
たまたま自分の会社が、公害の発生源であったという場合も出てくるでしょう。

公害は現在進行形の問題だという意識を、学生さんには持ってもらいたいです!

まぁ、私のようなオバサンにしてみれば、
確かに小学生の頃、近所に工場があり、
巨大な煙突から、モクモクと白煙が上がっていたんです。

で、その会社の人が、盆と正月になると、我が家にも物を置いていくんですわ。
贈答用の砂糖の大きな缶とか、毛布とか、母はもらっていましたよ。

これって、周辺一帯の家庭、全てに配られているため、
「うちは公害反対なので、受け取りません」なんて言ったら、それこそ村八分です。
なので、口止め料として、仕方なく母が受け取っていた姿を憶えています。

ただ、私が中学生になる頃には、その工場は移転したんですよね。
住宅地の中よりも、工場団地のほうがいいと判断したのでしょう。

でも、その工場が排水を流していた近所の川は、当時、物凄い悪臭でした。
ただ、工場だけが悪者ではなく、家庭排水も流れていましたし、
大きな病院も、医療廃棄物を敷地内に巨大な穴を掘って埋めていたため、
その横を流れていた川に、医療廃棄物から染み出た雨水も混じっていたでしょう。

それが当たり前の時代だったのですが、
いつのまにか工場は移転し、
医療廃棄物の穴も塞がれ、病院の綺麗な庭園になっていました!

でも、私の記憶の中では、
モクモクと上がる煙と、医療廃棄物が放置された巨大な穴は、
絶対に忘れることができない光景なんです。

きっと戦争体験をした人は、
私と同じように、戦争の光景が忘れられないことでしょう。
17:08  |  経済教室  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2014'08.01 (Fri)

池上彰の経済教室 9

池上彰の経済教室 9  
【日本の高度経済成長 その3】

●東京オリンピックを転機に

★衛生観念を高める

1964年の東京オリンピックを大きな節目として、
日本は、海外からのゲストを迎えるために、
街をきれいにする一大キャンペーンを行っていた

【国鉄沿線の黄害】
国鉄の長距離列車が住宅地に近づくと、

「ここから先は、トイレの使用はご遠慮ください」

と、車内アナウンスが流れていた。

というのも、列車のトイレは下を覗くと線路が見える穴だった……。
つまり、汚物は垂れ流しだったため、
線路の沿線の住宅の洗濯物には、黄色の斑点が付いていた = 黄害

【駅の『痰つぼ』】
街に、痰を吐かないように、駅に『痰つぼ』が置かれるようになった

当時は、ゴミは道路に捨てるのが当たり前で、
日本人の衛生観念は低かったが、
オリンピックを契機に、大々的なキャンペーンを行い、街を綺麗にしていった


★東京オリンピック当時の日本

○ バキュームカーを外国人に見られるのは恥ずかしいと、
   オリンピックの開催中はバキュームカーを走らせなかった

○ 家の中がハエだらけだったので、各部屋にハエ取り紙がぶら下げられていた

○ ケネディのアイスクリーム → 食品表示の基準の整備
  1962年にロバート・ケネディ上院議員が来日し、早稲田大学で講演した時、
  日本の学生から「エネルギーの源は?」と聞かれ、「アイスクリーム」と答える
  当時の日本のアイスクリームは、色の付いた砂糖水を凍らせたもので、
  アメリカのアイスクリームとは全く違うものだったのを、日本人は知らなかった
                   ↓
  乳脂肪分8%以上のものをアイスクリームと表示するよう、
  食品の表示の基準が作られることになった

○ 東海道新幹線が1964年の10月1日に開通した(東京⇔新大阪)

○ 国際標準のホテルの建設
  初めてユニットバスが登場し、洋式トイレが採用される
  日本人は、洋式トイレの使い方を知らなかった

東京オリンピックを契機に、国際的な生活習慣を身に付ける
例) マナー教室で洋食の食べ方を教わる

○ 海外旅行へ
  1966年、日航機で行く海外旅行、ジャルパックが始まる

○ モーレツ社員
  家にクーラーがなく、会社にクーラーがあるため、
  夜遅くまで残業するお父さんが多かった

国が経済学者の意見に基づいて、適切な経済の成長路線を築き、
国民は政府を信頼し、所得を増やそうと一生懸命に働いた

               ↓
            高度経済成長

以上



☆☆☆ 今回のちよこの番組感想 ☆☆☆

こういうのを聞くと、50年前の日本の衛生状態の悪さに、愕然としますよね。

っていうか、私、デブなんで、洋式じゃないとトイレはキツイっす……。

ただ、オリンピックによって、先進国を意識するようになったっていうの、
やっぱ日本人って、明治維新の文明開化もそうですけどぉ、
西洋に追いつけ追い越せ!っていう、そういう気合は半端ないですよね。

今なんか、トイレは完全に西洋を追い越しちゃって、ウォシュレットですもん。
ユースケが小5で1か月、インターナショナル・キャンプに参加した時も、
日本がキャンプ地だったのですが、最初に全員集められて、
ウォシュレットの使い方のDVDを見たんですって。
で、日本人以外、アメリカ・ヨーロッパ・アジア、全員、衝撃を受け、
しばらくトイレに1人ずつこもっては、ウォシュレットを試してたそうで……。

でも、衛生状態で、その国のレベルって計られてしまいますよね。

翌年の小6のユースケは、フィリピンで3週間のキャンプに参加したのですが、
この時は、トイレは水洗だけれども、紙は流さずにゴミ箱に捨てねばならず、
最初、それを知らない日本人は、トイレットペーパーを水と一緒に流し、
トイレを詰まらせてしまったんだそうです。

それに、どこに行ってもハエが飛んでおり、
カフェテリアのテーブルの上に、
蓋なしのジュースが入ったポットが置いてあったそうですが、
何匹かハエがポットの底に沈んでいるのを、毎回、飲んでいたとのこと。

だって飲まなきゃ死んじゃうし、で、飲んでも死なないし。

まぁねぇ、フィリピンから帰ってきたユースケが、空港で開口一番、

「日本の衛生状態は素晴らしい!」

って、叫んでおりましたが、
あまりにも清潔にこだわり過ぎるのも、どうなんでしょう?!

海外に行けなくなっちゃいますよね……。
17:39  |  経済教室  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2014'07.17 (Thu)

池上彰の経済教室 8

池上彰の経済教室 8  
【日本の高度経済成長 その2】

●国産自動車で高度成長

★生活を変えた三種の神器
白黒テレビ、 冷蔵庫、 洗濯機

1日の大半を主婦は家事に時間を費やしてきたが、
炊飯器や洗濯機、冷蔵庫という電化製品の登場で、生活のリズムが変化する

また、冷蔵庫を手に入れ、冷えた飲み物の美味しさが分かると、
ビールやジュースが劇的に売れるようになるし、
TVでCMを見ることで、どんどん物が欲しくなる
              ↓
     消費ブーム到来!

★自動車産業の育成
日本が大きく発展する上で、1番基本で大事な産業=自動車

自動車を作れる国 = 先進国
1台の自動車に部品が1万点必要で、それぞれを精巧に作って、組み立てる技術

政府として自動車産業を育成 ⇒ 国民車構想 (1955年)
① 最高速度100km/h以上
② 4人乗れる
③ 排気量350cc~500cc
④ 大きな修理が無くても10万km以上走れる
⑤ 販売価格25万円以下 (当時のサラリーマンの年収が目安)

初めての国民車として、富士重工のスバル360が登場!
値段は42万5千円で、今の価値に換算すると600万円

次に、ホンダスポーツ360というオープンカーが登場!

その後、BC戦争が勃発する。
トヨタのコロナ vs 日産ブルーバード

トヨタが愛知県の挙母市(ころもし)に巨大自動車工場を建設したので、
挙母市は市の名前を【豊田市】に変更する

モータリゼーションの時代が到来し、企業は大きく成長!
自動車産業が発展すると、周辺の他の産業も牽引され発展

しかし、1960年代の日本は、
道路も整備されず、信号がなく、交通ルールがなかったため、
自動車による事故が多発し、交通戦争と呼ばれた

★新たな消費ブーム3C
車(Car)、 クーラー(Cooler)、 カラーテレビ(Color TV)

特に1964年の東京オリンピックの開催前、
各メーカーがカラーテレビの宣伝に力を入れ始める

★東京オリンピックと高度成長
オリンピックに合わせて、高速道路が作られる
1963年:名神高速道路、 1968年:東名高速道路が開通

実は、オリンピックの開催中、東京は青空ではなく、スモッグに覆われ、
PM2.5どころではなく、多くの大気汚染物質で街は霞んでいた。

「あんなに空気が汚れたところで、マラソンをして大丈夫なのか?」

という議論も出るほどで、マラソンは排気ガスが煙る中で走っていた。

ただ、開会式だけは、前日の夜に大雨が降り、スモッグが全部洗い流され、
抜けるような青空の下で開催されたが、翌日から灰色のスモッグの空だった……
 


以上



☆☆☆ 今回のちよこの番組感想 ☆☆☆

いやぁ、国民車構想というのがスゴイですね。

私は、高級車に乗りたいとか、カーローンを組むとか、
そこまで自動車に固執してないので、
どうしてそんなに車、車、騒ぐのか、よく分からなかったのですが、

自動車産業=先進国

という図式があり、自動車は国民の憧れの乗り物だったんですね。

私は小学5年生の時、母がPTAの副会長をしていた縁で、
市の小学生親善大使10名に選ばれ、
お向かいの県まで行かされ、1週間のキャンプに参加したんですよ。

私が住む県にはなかったんですけど、
その県には自動車組み立て工場があったんで、
これでもカ~~~って、見学に連れて行かれましたわ。

自動車工場があるっていうのは、その県にとってもステイタスだったんですね。

ふ~~~ん。

あと、日本も50年前は中国と一緒で、メッチャ大気汚染物質吐き出しまくり!
しかも、北京オリンピックでマラソンをボイコットしたランナーがいましたが、
それと同じ議論がなされていたなんて……知らんかったとです。

東京オリンピックのイメージは、開会式が青空だったので、
私の中では10月の空は秋晴れで青いものだと思い込んでいましたよ。
でも、実際は大気汚染で灰色に染まっていたんですね……。

まぁ、日本の大気汚染物質は大陸に垂れ流されることなく、
太平洋に拡散していったんでしょうが、
それでも日本人は長寿大国なんですから、人間の身体って強く出来てるんですね。
18:50  |  経済教室  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑
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