All archives    Admin

05月≪ 2017年06月 ≫07月

123456789101112131415161718192021222324252627282930

2016'01.31 (Sun)

PEACE BOOK

昨日、天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問され、
4泊5日の日程を終えて帰国されましたが、
フィリピンと日本の歴史的背景を知る、とても意義ある機会だったと思います。


私自身、太平洋戦争で、フィリピンの方々が100万人も犠牲になっていたなんて、
ユースケがインターナショナル・キャンプでフィリピンに行くことが決まってから、
改めて勉強して知ったことです。
それに、ちょうどその頃、スペシャル・ドラマで、
フィリピンにおける日本の服役兵を開放した、当時のキリノ大統領と、
日本の歌姫(渡辺はま子さん)との交流が放送されたことも、
両国の関係を知るうえで、大変、貴重な時間でした。

でも、日本の若者って、太平洋戦争について知らなさすぎるんですよね。

この事実を突き付けられたのは、
ユースケが小6の夏休みの2週間を、フィリピンで過ごすことになり、
そのキャンプのテーマが『PEACE BOOK』になったことが、きっかけでした。

そのインターナショナル・キャンプは、5か国が集結するのですが、
12歳から15歳までの子ども6人とリーダー1人がセットとなり、
開催国のフィリピン・チームを始め、
インドネシア、タイ、スイス、日本という組み合わせでした。

正直、この5か国で『PEACE BOOK』というテーマで、英語で討論するとなると、
絶対的に日本が不利になるよなぁって、私は危惧しました。
太平洋戦争を掲げられると、
そりゃ、日本のせいで多くの犠牲者が出たのは事実ですから。

でも、このことを帝大の医学部に通う日本のリーダーに相談したところ、

「ぼく、太平洋戦争なんて、学校で習ってないし、よく知らないんです。
 だから聞かれても、『ぼくは知りません』としか、言いようがないですね」


って、明るくスルーされたのでした……。

えぇっ、そこって無視していいの?!

私は、その能天気さに圧倒されてしまいましたが、

『過去の日本人がやったことを、
 今の日本人にブチブチ言われても、知らんがな!』


というスタンスで、この人は押し通すんだろうと、
私は彼を動かすのは無理だと考え、
ユースケに個人的に、太平洋戦争でのアジア各国の状況を教えました。

私は、その国際親善団体に2年ほど所属していましたが、
『平和』というテーマは頻繁に登場し、
日本の若者は、『日本人と平和』というタイトルでプレゼンをする時、
だいたい『原爆』を持ち出すんです。

そりゃ、英語のスピーチで、海外の若者に訴えるとしたら、
唯一の被爆国という立場は、特別なことでしょう。
でも、日本は被害者でもあるが、加害者でもあるという立ち位置を、
しっかり把握しておかないと、足元をすくわれることになりかねません。

ユースケが行ったキャンプは、
たまたま、日本のご近所さんは参加していませんでしたが、
彼らが参加していたら、総攻撃を喰らっていたでしょうからね!

はい、これだけ太平洋戦争が風化し、
世代による温度差が明確になっている今だからこそ、
天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問され、
フィリピン人戦没者の墓地に供花なさったり、
服役日本兵に恩赦を与えてくださったキリノ大統領のお孫さんにお会いしたり、
また、戦後もフィリピンで暮らした日本人コミュニティの皆さんと懇談したりというのは、
これが話題になるだけでも、
戦争を身近に感じることのない若い世代にとって、素晴らしい教育になっている
と、私は思います。
スポンサーサイト
17:06  |  life  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

こんばんは

天皇皇后両陛下のフィリピンでのお姿に
心を打たれました。

誠心誠意とはこういうことなのだと感じました。

これは、伝えていかなければならないことです。 
こっぺ | 2016年01月31日(日) 21:11 | URL | コメント編集

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 | 2016年02月01日(月) 10:11 |  | コメント編集

自分のところにも書きましたが、義母はフィリピンで生まれ育ち、そして戦争で全員を亡くしました。背中に負ったきょうだいが撃たれて亡くなっていたり、餓死したりと、それはそれは悲惨な状況だったようです。おっとにとっては、祖父母やおじおばにあたる人たちの事ですが、義母は多くを語ろうとしなかったため、おっとですらわからない事が多いです。

語らないというよりは語りたくなかったのかもしれないと、今になって思います。

今回天皇皇后両陛下がフィリピンをご訪問なさって、あそこで何が起きていたのかを少しでも知っていただける機会があって、私もうれしく思いました。

戦没者の慰霊碑に献花してくださったこと。おそらく義母の親きょうだいも喜んでいることと思います。義母は今もその当時の事を口にすることがあります。
まりん | 2016年02月01日(月) 13:03 | URL | コメント編集

こっぺさん

> 天皇皇后両陛下のフィリピンでのお姿に
> 心を打たれました。

はい、私もニュースで見て……
特にフィリピンを特別機で離れる直前、
深々とお辞儀をなさった両陛下の姿には、深く心に突き刺さるものがありました。


> 誠心誠意とはこういうことなのだと感じました。

そうなんですよねぇ。
起きてしまったことは変えられないのですが、
でも、気持ちを伝えることは、いくらでも出来ます。

それこそが、本来は形に残るもの(お金やODA)よりも大切じゃないのかって、
私も思います。


> これは、伝えていかなければならないことです。 

はい、過去を引きずるという後ろ向きではなく、
過去を踏まえて明るい未来を築くという前向きな意味で、
これからも日本人は、ずっと知っておかねばらないと思います。
ちよこ | 2016年02月01日(月) 18:40 | URL | コメント編集

鍵コメさん

鍵コメさん、コメント、ありがとうございます。

私も同じ意見です。

どんどん過去が風化していく中、
忘れてしまう、知らないでいるということは簡単ですが、
でも、足を踏んだ方はそれで良くても、踏まれたほうは、ずっと覚えていますもんね。

明るい未来を一緒に築いていくためにも、
私たちは忘れてはいけないし、過去のことは知らないといって無視するのも、
私は違うと思います。
ちよこ | 2016年02月01日(月) 18:46 | URL | コメント編集

まりんさん

> 自分のところにも書きましたが、義母はフィリピンで生まれ育ち、そして戦争で全員を亡くしました。
> 語らないというよりは語りたくなかったのかもしれないと、今になって思います。

そういう辛く重たい過去を義母さんは背負われていたんですね。

いつも、まりんさんが献身的に義母さんに尽くされていることを、ブログで知っていましたが、
辛い過去を持つ義母さんに、心安らかな老後を過ごしてほしいという、
まりんさんの優しさだったんですね。

でも、本当に辛い体験をすると、かえって誰にも話したくないし、思い出したくもないんでしょう。
うちの父の姉は広島の原爆が落ちた直後に従軍看護師として市内に入り放射線を浴び、
数年後に他界しました。
ただ、そのことを知ったのは、父が亡くなる2年ほど前で、それまでは父は話しませんでした。

また、パートナーの祖父はロシアに抑留され、何年もたってから帰還しました。
祖父もまた、シベリアでのことは全く孫には話さなかったそうです。

本当に戦争って、悲劇以外の何物でもないですね。
フィリピン、ロシア、広島……
生き地獄を味わった経験は、本人や家族にもトラウマになりますよね。


> 今回天皇皇后両陛下がフィリピンをご訪問なさって、あそこで何が起きていたのかを少しでも知っていただける機会があって、私もうれしく思いました。

ですよね!

ユースケがフィリピンで過ごした際も、
フィリピンの人は親日家で、日本人が来てくれたと、空港やデパートで話すたびに、喜んでくれたそうです。

フィリピンを訪れるのは韓国人、中国人が多く、
日本人は来ないというのが現地の人の感想なんですって!


> 戦没者の慰霊碑に献花してくださったこと。おそらく義母の親きょうだいも喜んでいることと思います。義母は今もその当時の事を口にすることがあります。

本当に、そうだと思います。
政治を抜きにして、国を代表する人が、
過去の大戦で亡くなった両国の人々の慰霊碑に供花されたというのは、
魂を鎮める最大級の意味が込められていると、私も思います。
ちよこ | 2016年02月01日(月) 19:00 | URL | コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://chyococo.blog42.fc2.com/tb.php/2328-86145b7b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |